Wharton MBA (Class of 2009) 有志による「刺激」を共有する場
by whartonjapan09


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適度なStretch (doc)

久方ぶりに体調を崩してしまい、先の週末は殆ど何も (MKTGのレポート以外は) 出来ませんでした。まさに医者の不養生というやつです・・・。これが毎日のhard workで体調を崩したというのならまだしも格好が付くのですが、単にだらだら夜更かしした結果(別に勉強してたわけでもなく)、睡眠リズムが崩れて調子を悪くしただけというのが情けない限り。目下反省中です。

話が変わりますが、皆さんは小学生の頃、夏休みの宿題をきちんと計画通りに進める事が出来るタイプの人でしたか? それとも、夏休みの宿題なんて最後の数日でやるもの、というタイプでした? 世の多くの人は後者に属することと思いますが、私もご多分に漏れず後者のタイプでした。ただ、計画をきっちり立案する事だけは大好きだったので、毎年夏休みに入るとまず最初に綿密な計画を立て、3日間くらいは一応計画通りに宿題を進め、いつの間にか計画をほっぽり出し、結局最後の数日で慌てて片づけるという事を繰り返していました。基本的に、徹底的に追い込まれない限りはなかなか本腰を入れて物事に取り組まない(取り組めない)タイプなんですね・・。この性格の為に、今まで受験の際には散々と苦労をしてきました(合格したのは殆ど運のおかげだと思ってます)。

この “追い込まれないと燃えない” という性格は、その後も根強く私の中に残り続けました。この性格とは結局一生付き合っていかざるを得ないのかと悟った私は、大学に入って暫くした頃から、敢えて自分を絶えず追い込まれた環境に置くことこそが、自分のcapacityを引き上げる唯一かつ最も有効な手段だと考えるようになり、以降自分への負荷が大きい選択肢を好んで (?) 選ぶようになりました。大学時代は米国で臨床研修を受けようと本気でUSMLE(アメリカの医学生が受ける共通テストで、外国人医師が米国で臨床行為を行うLicenseを取る為に受験が必要)の勉強をしたり、卒業後は研修のハードさが売り+自分の大学の出身者が殆ど皆無(医者は大抵同じ大学の出身者で固まろうとする)の都内の研修病院にわざわざ就職したり、研修が一段落付いたと思ったら臨床現場から離れ、MBAを取りにアメリカまで遠路遙々やって来たり・・。 全て、自分に負荷をかける(俗に言う“stretch”する)ために選んで来た選択肢とも言えます。

それでは、米国MBA生活は実際に “stretch” の機能を果たしていると言えるでしょうか? 9月の秋学期開始当初は、まだ環境に慣れていなかった事もあり、それなりに有効な負荷がかかっていたと思います。ですが、暫く時間が経ち、大体この程度のinputを入力するとまずまず満足出来るレベルのreturnが返ってくる、という事が一旦判明してきてしまうと、徐々に手を抜いて “流す” ようになってきてしまった、と最近感じています。これではいけない!と思い、学校での課題とは別に、自主的に課題をどんどんと設定していく事にしました(ちょっと前にBenさんがcommentして下さってますが)。小学生の頃のように3日で計画倒れという事にもなりかねないですが、安易に低きに流れていってしまう事が無いよう、こうして適度に自分をstretchし続けていきたいと思ってます。
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by whartonjapan09 | 2007-10-09 12:20 | doc

医療の高度化の功罪は? (doc)

docです。

最近、頭の中身が自分の専門分野(であるはず)の医療から遠ざかり、すっかりMGECやらMKTGやらSTATやらに染まってしまっていたので、ここらでちょっと医療関係のネタについて触れてみようかと思います。

「医療の進歩(高度化)は、絶対的に望ましいものである」

この命題について、皆さんはどう思われますか?

わざわざ “絶対的に” という限定的な形容詞を付けているからには、私が「否」という答えを用意しているということは、幼少期から日本の試験に慣れ親しんできた皆さんならすぐにお気付きになる事と思います。では、医療の進歩が手放しに礼賛されないのは、一体どういう理由に依るものなのでしょうか。

実は理由なんていくらでも挙げられるのですが、今回は医療経済的な側面から簡単に論じてみたいと思います (別に、私は医療の発展に反対しているわけでは毛頭ありません。念の為)。

医療費の高騰の原因について、医療経済学の世界では既に一つのコンセンサスが得られています。それは、「医療の進歩(医療技術の高度化)こそ医療費を上昇させる最大の要因である」という事です。

日本では、一時期(今でも?)「高齢化の進行、高齢者人口の増加」こそが医療費を上昇させる最大の原因であるという世論が(実は厚生労働省主導で)形成され、“高齢者は社会の負担” というような考え方が世間において見受けられた時期がありました。
確かに、高齢者一人あたりの年間医療費は若年者のそれと比べて何倍にもなるのですが(正確な数字は失念してしまいましたが、確か7倍くらいだったと思います)、仮に「医療技術の水準が過去数十年間で横ばいであった」と仮定すると、この数十年で高齢化は着実に進行したにもかかわらず、医療費自体の上昇傾向は実際のそれと比べて遙かに緩やかになると試算されるのです。
逆に、医療技術の向上が実際のように認められたとすると、仮に「高齢化が過去数十年で全く進行しなかった」と仮定しても、医療費は(現実の値ほどではありませんが)大幅に増加してしまうと試算されます。
年々医療費が上昇していくことの原因として高齢者を一方的に非難する事が非常にナンセンスであるということは、このように医療経済学的にも立証されているのです。

この数十年、医療技術の高度化→治療できる病態の増加 (volumeの増加)+単一治療あたりにかかる費用の高騰 (unit costの上昇)となり、加えて医療費の価格硬直性(市場のメカニズムが殆ど働かない)や、医療の平等性を担保するための政府による低所得者への補助制度などのこの業界特有の事情と相まって、あれよあれよという間に総医療費は膨れあがってしまいました(とは言え、日本の医療費の増加率は他国、特にアメリカに比べるとおとなしいものですが・・・)。
国(国民)が医療に費やすことの出来る資源には当然ながら限りがある以上、各医療行為のcost-effectivenessを試算した上で、よりeffectiveなものから優先して医療費を割り当てていく(すなわち、保険適用とする and/or 保険による負担率を高めに設定する)というようなアプローチが必要とされる時も案外に近いのかもしれません・・・。
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by whartonjapan09 | 2007-10-02 10:00 | doc

米国流の自己主張 (doc)

Docです。

Marketingの課題をこなす為に最近は連日のようにLearning Teamで集まっていたのですが、やっと本日課題の提出を無事終えたと思ったら今度はMGECのmid-term examが明日に控えているという、文字通り情け容赦の無いスケジュールに泣かされる日々を送っております。大学を卒業し仕事を始めてからは、一つ一つの行為に常に大きな結果責任が伴う職務を延々と繰り返す生活を送ることとなり、“学生の頃は、何の責任を担わされる事も無く本当に気楽な生活を送っていたもんだ。ちょっとだけでも、あの頃に帰れないもんかな~” 等と学生時代を偲んでいたものですが、いざ学生の立場に戻ってみるとそうそう現実甘くありませんでした(日本の大学、特に私の出身大学だと、本当に気楽な生活を送ることが出来るのでしょうが・・・)。ともあれ、“自分を極限までstretchする” というのも今回の留学の目的の一つであるため、しんどい生活こそ望み通り、何とか踏ん張っていこうというところです(出来れば、もう少し意義のあるしんどさを所望する次第ですが・・・)。

さてさて、先述のように最近はLearning Teamの人達と一緒にいる時間が非常に多いわけですが、そうして彼らと課題に関するdiscussionを交わしていく中で感じた事を書いてみようかと思います。
非常に幸いな事に、私のteam mateは皆概ね優秀です。思考能力や作業の遂行能力といったIQ的な能力に加え、EQ的な能力も優れており、共同して作業を進めていく上では非常に助かっています(そう言えば、ちょうど明日のMGMTの授業でemotional intelligenceを取り扱うようですね。Leadership同様、理念的な事に終始してしまうのかなという予感がしますが・・)。

そうした彼らの能力の中で自分に一番欠けていると感じさせられたのが、判断を下すまでの早さです。その時その時に展開されている議論の中において、自分の考えを述べるまでの時間が兎に角早い!。自分には、不慣れな英語ベースで思考を進めざるを得ないというハンデこそありますが、それを差っ引いても彼らの俊敏さには敵わないような気がします。ただし、一つ一つの発言の精度はどうしても落ちます。良く聞いてみると論理展開の飛躍・破綻などがそこかしこに認められるのですが、兎に角スピードにまかせて量で押しまくってくるもので、中々的確な反論が出来ません。仕様が無いので、最近は取りあえず言いたいことを言うだけ言わせ、落ち着いたところでゆっくりと問題点を指摘したり、対案を提示したりするようにしています。Learning teamの中や個人対個人で話しをしている時はこれでもさほど問題無いのですが、class discussionのようにそれ程時間的猶予が無い場面となると、結局ろくに発言が出来ないという事になりがちです。
恐らく、このような思いは他の多くの日本人学生の方も日々感じてらっしゃることでしょう。考えるに、我々日本人は自分の意見を公言する際、まず自分の頭の中で思いついたアイデアを検証し、修正を重ね、“これなら発言しても他者から大きな問題を指摘される事はない” と自信が持てた時点で初めて発言する、というパターンを取りがちなのです。自分の意見=自分自身と重ねて見てしまうためか、仕様もない意見を言ってしまうと自分自身を貶めてしまうという考えが自然と働き、つい発言に大して慎重になってしまうのだと思います。

一方、米国人・並びに米国生活が長い外国人(こういう書き方も、こちらではPolitical Correctnessの観点から問題なのかもしれませんが)は、発言内容と自分のidentityを大分と切り離して見ることが出来ているためか(はたまた、発言しないと無能と見なされるため半ば強制的に発言しているのか)、反論が加えられる事を全く気にせずに思いついた意見を片っ端から口に出来ている、という印象を受けます(これはあくまで極論であり、日本人的な発言の仕方をする米国人や、米国人的な発言の仕方をする日本人も勿論たくさんいるのでしょうが)。

どちらが良いとは一概に言えないと思いますが、それでも一つ確実に言える事は、“やはり発言量がその場におけるpresenceを決定する”、ないし“声の大きい人間が強い”ということです(これは勿論日本でも言えることですが、こちらではその傾向がより顕著だと思います)。自分のスタイル上、論理展開の破綻をチェックしてから話すというやり方を今後も変えることは無いと思うのですが、自分が正しいと思った意見を適切に主張する為にも、もう少し発言までのwait timeを縮めていくよう努力しなくては、というところです(その為にも、まずは英語での思考に慣れないといけませんが・・・)。
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by whartonjapan09 | 2007-09-25 06:43 | doc

視野を広く (doc)

9月も半ばを過ぎ、Philadelphiaの街も少しずつ秋の気配を漂わせるようになってきました。授業も第3週目に突入し、課題提出やテストのプレッシャーに常に追い立てられる日々です。個人的につけているBlogの更新もほぼ週1ペースとすっかり滞りがちとなってしまっていますが、他のWharton生のBlogの更新スピードもほぼ一様に落ち込んでいるのを見ると、皆同じように苦労しているのだと、ちょっと慰められるような気分になります。(Whartonに限らず、他校の方のBlogについてもほぼ同様の傾向が伺えるのが、また面白いところです)

こうして日々目前の課題をこなす事のみを繰り返すような生活を続けていくと、人間どうしても視野狭窄に陥りやすくなってしまいます。以前仕事をしていた時もまさに同じような状況にあり、日々課せられた莫大なタスクを処理する事のみに没頭し、仕事の事を考えているか寝ているか殆どどちらかのみ、という生活を送っていました。

ただ、そのように仕事に忙殺される日々の中においても、たまにふと意識して立ち止まってみて、今の自分の立ち位置を確かめ、今後長期的に見て自分はどのような方向に進んでいきたいのか、その為にはどのような行動をどういったスケジュールで実行に移していくべきか、といった事を確認する作業を行うようにしていました。そうして、日々の生活の中でつい(現状をそのまま受け入れてしまうという)易きに流れがちになる自分の心に、歯止めをかけていたのだと思います。

当時に比べれば今の状況はworkload的にはずっと楽なのですが、言語の壁・文化の壁も高く、ストレスは非常に溜まりやすい環境と言えます。人間しんどい状況になるとどうしても思考を停止させ、安直に易きに流れる傾向が出てきてしまいますので、また時折立ち止まっては、広い視野を持って種種雑多な事に考えを巡らす、という作業を意識して行っていかないとと思う次第です。
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by whartonjapan09 | 2007-09-18 15:06 | doc

知識の実用性 (doc)

Business school, medical school, law schoolの3つは、俗に三大professional schoolと呼ばれています。いずれも大学を修了した人に提供される院レベルの教育課程であり、”professional”とあるように、社会で活躍する実務家を養成するところに主眼がある、という点が共通しています(卒業生の給与が高い点でも共通している、なんて揶揄されたりもしますが・・・)。

では、実務家を大学のような教育機関で本当に養成することが出来るのでしょうか?
別の言い方をすると、大学で学んだ事が本当に実務をこなしていく上で助けとなるのでしょうか? 
Whartonに来られている皆さん(そして、business schoolへの進学を考えておられる受験生の皆さん)は、大学時代に学校で学んだ事が、その後の仕事で何らかの形で役に立ったということがありましたでしょうか?

私はmedical school(日本の医学部とこちらのmedical schoolはその立ち位置が若干異なりますが)という、やはり実務家を養成することを目的とした学校を出ているわけですが、その経験を元にお話をしますと、“大学時代に学んだ知識は実務をこなしていく上でもかなり役に立った”、と言えると思います。

ただし、知識を“役に立たせる”ことが出来るようになるまでには、実際に医療現場に飛び込んでから暫くの期間働くことが必要となりました。経験を重ねる中で、 “知識をいかに実践に結びつけるか”という術を段々と学んでいき、そうして初めて、”(一見するとあまり実践に直結しないように思われる)学問的な知識” に根ざした、より深い疾病の理解、病態の評価・判断が出来るようになっていったと思います。
(逆に言えば、医学部を出ても現場での経験が無い人間は、無駄に知識ばかり多いけど全く役には立たないのです。毎年新たに病棟デビューする研修医は、皆決まってこのギャップ(知識はあるけど何にも出来ない)に苦しみます。)

恐らく、business schoolについても似たような事が言えるのではと思います(尤も、学生は既にある程度の現場経験を有しているという点で状況がやや異なりますが)。Schoolで学んだ学問的知識の大半は、卒業後すぐには役に立たないでしょう。でも、それで別にいいのだと思います。

卒業後、企業に就職したらすぐ戦力として認められたいという意識が強い人は、在学中により特殊な分野の最先端の知識が学べる講義を聴いたり、企業との合同プロジェクト等のより実践的な経験が積める機会を得たい、と思うのかもしれません(それ以前に、ネットワーキングだけを目的とした人も多いのかもしれませんが)。

でも、最先端の知識はどうせすぐ陳腐化しますし、卒業したら嫌と言うほど実践の機会を与えられる事になるわけですから、むしろ学生の間はとにかく自分の興味が向いた分野を(実践性はこの際あまり気にせずに)幅広く深く学んでみて、結果として、ビジネスの全体像を俯瞰できるようなより高い視座を身につける事に努めた方が、ずっと後々のためになるのではないかと思います。将来的に組織内における自分の positionが上がり、より裁量権が広がっていった時、そのような “全体を俯瞰する視点”こそが、(部署に関わらず)より深みのある経営判断を下すための大切な拠り所となるのではないでしょうか。

卒業後10年、15年と経った頃に、“あの時Whartonで学んだ事、深く考えた経験が、今になってこんなにも役に立つとは”、と思えるくらいになっているといいですね。
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by whartonjapan09 | 2007-09-10 13:07 | doc

自己紹介: doc

自己紹介

名前:doc
略歴:
1997年 筑波大学附属駒場高等学校 卒業
2003年 京都大学医学部医学科 卒業
大学卒業後は、東京都心にある研修病院にて内科系研修→その後地域医療に従事し、現在に至る。
海外経験殆ど無しの、純ドメ日本人です。

Why MBA?
① 社会に対して受け身の姿勢を取るのではなく、自ら主体的に変革を仕掛けていけるような、攻めの姿勢を取っていきたいと思ったため。
② 閉鎖的な体質がいまだに根強い医療界を、他の業界との協力の元、より質の高い医療サービスを提供していけるよう変革していきたいと思ったため。
③ Borderless化が加速度的に進む世界情勢の中で、他国の文化・思想を実際に自分の肌で感じ取ってみたい、そして日本という国を外部から客観的に見つめ直してみたいと思ったため。

私が遠路はるばる米国のビジネススクールまでやってきた理由は、大体この3点にあります。①、②の理由については、それだけだと "どうしてこの理由でMBAになったの?”となってしまいますので、以下簡単に補足説明をしていきます。
(ちなみに、日本人のM.D.で世界の top 10 クラスの business schoolに入学する人は、例年1~2人程度です。毎年医師免許を取得する人が8,000人程度ですから、私は4,000~8,000人に1人程しかいない進路を選択した変わり者、ということになります・・・)。

医者の仕事(これは医者に限らず、実際大抵の職業に通じることでしょうが)は、連日routine workの繰り返しです。日々、大量に押し寄せる患者の対応に終始するのみで、気が付くとあっという間に一日が終わり、ただ疲労感が後に残ります。毎日同じような作業を繰り返しながら、隠居するまで黙々と社会の1歯車として機能し続ける。これも、医者という歯車の社会における重要性を鑑みれば、非常にやり甲斐のある有意義な人生の過ごし方だと思いますし、実際私も医師として大変充実した日々を送る事が出来たと思っています。

が、そのような“受け身”の人生を送り続ける事に対しての疑問・不満というものは常に自分の中にあり、それは日々の業務をこなしていく中で着実に成長を続けていきました。大半の人々は、社会に出て/会社に勤めるようになって数年もすると “現実ってこんなもんだよなー”と諦めの境地に突入し、そういう疑問を若者の肥大した自意識から来る青臭いものとして封じ込んでしまうことで現実に“適応”していくわけですが、まだまだ青臭さの残る自分にはそうして濁った目をしながら生きていくことがどうしても受け入れられなかったのです。与えられるものにただ答えていく事を繰り返すだけの人生ではなく、自ら能動的に外部に向かって働きかけ、社会がほんの少しでも良い方向へと変わっていけるような活動を積極的に展開していきたい、という思いが強まっていったのです。これが、上記のWhy MBA:理由①になります。

変革を仕掛ける対象としては、当然と言いますか、私の専門領域である医療界が挙がりました。高齢化の進行に伴う患者数の増加、患者の権利意識の向上、経営環境の悪化など、諸々の外部環境のダイナミックな変化を受け、より時代の要請に応えた望ましい医療を提供できるようになるべく、医療界にはこの10年間程で実に様々な変化が持ち込まれてきました。しかしながら、そうした努力にも関わらず(そして、現場の医療従事者の疲労感は着実に強まってきているにも関わらず)、これまでのところ実際に提供されている医療サービスの質自体はなかなか大きな改善を見ずにいます。一体何が原因なのでしょうか?

この原因と、さらには解決策に迫っていくためのアプローチとして、私はビジネスのフィールドを選択することにしました。理由は単純で、一つは、
“医療は社会の重要・必要不可欠なインフラの一つである”
+ “社会(人々の生活)は、その成立基盤としてbusiness activityに大きく依存している”
→ “ビジネス(活動)の効用を上手く利用することで、医療サービスの質を大きく引き上げていく事が可能なのではないか?“
と考えたこと。あと一つは、
“医療以外の業界については殆ど知らない専門馬鹿(失礼)たちが雁首揃えても、いいアイデアなんて生まれる訳がない。他の業界の人々とのより積極的な意見の交流が必要ではないか?”
と考えたからです。
とは言え、自分はビジネスに関しては知識も経験も無く、実業界でばりばり活躍している知人が特にたくさんいるという訳でも無いので、その両方を手に入れる為の手段としてbusiness schoolという選択肢を選んだわけです。長くなりましたが、これがWhy MBA? の理由②となります。
(理由③はそのまんまです。他にも細々とした理由はあるのですが、ここに記載するまでもないことなので省略します)

まだMBAのカリキュラムが開始されてから1ヶ月程しか経っていませんが、既に非常に大きな刺激を周囲の方々から受け取ることが出来ました。この調子であと2年間を全力疾走し、少しでも多くのものを学び取り、そうして学んだものを将来的な活動を通じてより広く医療界に還元していければと思っています。
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by whartonjapan09 | 2007-08-28 14:24 | doc