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Good-bye, Philadelphia (オッサン)
卒業式のあと、引越の準備等々で忙しい毎日が続きます。
とりわけ妻は、息子2人の最後の思い出づくりのため、各々の学校のクラスメート一人ひとりへのメッセージカードや、ちょっとしたプレゼントを用意してあげたりして大忙しです。その他にも、お母さん同士でメールアドレスや写真を交換したり、学校の先生やドアマンなどお世話になった人たちに御礼の品を配ったり、日本人の知り合いのご家庭に使わなくなった電化製品を譲ってあげたりしていました。 この2年間、私は「ウォートンに通っていた」だけであり、家族は「フィラデルフィアに住んでいた」のだなぁということを、改めて実感させられました。 引越の荷物を整理していたら、奇しくも、渡米に際して携えてきた3つの書類(フォルダーにまとめていた)を発見しました。 一つは、MBA受験時代に大事に持っていた「大吉」のおみくじ。 春風の 吹けばおのずと 山かげの 梅も桜も 花は咲くなり (一時の不運に慌て騒ぎ、思い迷うことなく、静かに時の来るのを待ちなさい) 当時は本当に苦労しましたが、最終的にはウォートンに合格することができ、大正解でした。 3月(2nd Round)の時点でそれなりの学校に合格していたら、きっとそれで満足して、あそこまでウォートンにこだわって合格を勝ち取ることもなかったと思います。 二つめは、MBA Admissions Director: Thomas Careelからの合格通知。 On behalf of the entire Wharton community, I congratulate you on your admission to the Wharton MBA Class of 2009. You are part of a select group of individuals invited to join the community during the 125th Anniversary of Wharton's founding, an occasion that honors the School's spirit of innovation and far-reaching influence in global business education.(以下略) 振り返ってみると、このウォートン・コミュニティーの一員となれたことを、本当に誇らしく思います。 いやマジな話、2nd Roundで私を "Waitlist" にしたトーマスの判断は正しかった。あの時点では、私は決してウォートン水準には達していなかったと思うし、かと言って、完全に見切られる輩でもなかったわけです。2年経って、その期待には何とか応えられたのではないかと思います。 これからは、私がウォートンに何らかのお返しをする番。きっとできると思っています。 三つめは、留学直前に掲載された日経夕刊のコラム。ハーバードで経済学のPhDを修め、一橋大学の教授を務めた中谷巌氏(現 三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長)による「何回『充電』できますか?」という記事です。 何回「充電」できますか? といっても、これは電池の話ではない。私たち自身の「知的充電」のことである。 学校で勉強したことが賞味期限切れになるのにはおそらくそれほど時間はかからない。適当な時期に「充電」しておかないとすぐにつまらない人間になってしまう。 岡崎久彦氏の「教養のすすめ」(青春出版社・2005年)は、この「知的充電」がいかに重要か、明治のリーダー達を例に出しつつ論じている。この本によると、幕末から維新にかけて日本の近代化に大きな貢献をした勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、陸奥宗光などの「知の巨人」は、例外なく、節目節目に猛烈な知的充電を行った。 彼らは一生のうち何度か、二、三年あるいはもっと長い期間にわたって死にものぐるいの勉強をしている。この死にものぐるいの勉強(それは「充電」という言葉をはるかに超えた「修行」であった)を通じて、リーダーとしての見識や志を身につけていったのである。明治初期に欧米を回った岩倉具視使節団が、メンバーの立ち居振る舞いが素晴らしいと各地で絶賛されたのも、彼らの教養の深さと志の高さゆえであった。 (以下略) 考えてみると、私自身「教養が深まった」とまで言えるかどうかは若干不安が残りますが、「志は(多少なりとも)高くなった」と言える気がします。 留学前には、これほどまで「世界」とか「日本」を意識することは無かったし、そういう目線で物事を考えたこともありませんでした。これは、Wharton Japan ClubのPresidentを務めさせてもらったことで、よりそういった自負心が生まれたという面もあります。 とにかく、同じ "使節団" の仲間21人に対しては、いつどこで再会しても、恥かしくない自分で居たいと思います。 #
by whartonjapan09
| 2009-05-21 05:54
| オッサン
May 17, 2009 (オッサン)
卒業式。ついにこの日を迎えました。
当日は、長男が所属する野球チームで彼にとってのLast Gameがあったため、妻と息子2人をグラウンドへ送り届けてから、独りGraduation Ceremonyの会場Franklin Fieldへ。 道すがら、卒業式の正装レガリアregalia(ガウン・帽子・タッセル・フード)を身に纏い会場へ向かう大勢のクラスメートたちを目にし、胸が高鳴ります。 雨天が心配されたものの、何とか曇り空で持ちこたえ、式典がスタートしました。 開会の挨拶は、WGA President(生徒会長)のJoanne Liu。ユーモアと得意の歌を交えながら、肩の力の抜けた彼女らしいスピーチでした。でも、彼女のスピーチもさることながら、来年この大役を我らがJapanのShockyouが務めるということを考えると、改めて、彼の成し遂げたことの大きさを感じずにはいられませんでした。 そして、ゲスト・スピーカーはグラミン銀行の創設者で、Nobel Laureateでもあるムハンマド・ユヌス氏。英語は決して上手とは言えないながら、いくつか心に響くメッセージがありました。Financial Crisisの真っ只中、ウォール街で活躍するMBAたちの輩出元として名前が挙がることも多いウォートンですが、そうしたWharton MBAの卒業式にあたり、「誰もがentrepreneurshipを持っている。ビジネスを興そう!」「お金儲けとSocial Business (Non-profit) は、一人の人間の中で両立できる」というメッセージは、意味のあるものだったと思います。 そして、この日の夜は2部構成。 まずは夕方5:30より、Philadelphiaが全米に誇るステーキハウスPrime Ribにて「奥様感謝祭」を開催しました。2年間、迷惑をかけ続けた妻たちへの、僅かながらの罪滅ぼしということで、家族持ちのメンバーで企画したものです。 ちょっと失敗したのは、事前に「これは "奥様感謝祭" だよ」と伝えておくのを忘れていたため、妻はあまり有難みを感じてくれておらず、あとになって「今日は "奥様感謝祭" だったんだよ」と説明したのですが、「ふーん、そうなの」とやはりイマイチの反応でした。逆に、「奥様感謝祭なんだったら、最後に花束くらい用意しておけばよかったのに。2年もアメリカに居たんだから、そういうところを学んで欲しかったワ」とのコメントを頂きました… ナイス・フィードバック。 そして夜9時からは、WG'09 Japaneseのフィラデルフィア最期の集い。22名中19名+ビルの計20名が駆けつけました。クライマックスは、一人ひとりからのメッセージ・タイム。"Carpe Diem" 熊ちゃんの司会のもと、みんなから、この2年間を振り返っての本音、心の声を聞くことができました。月並みな表現ですが、苦楽を共にした仲間だからこそ分かり合えるもの、2年間それぞれが真剣に勝負してきたからこそ尊敬できるものがあるのだと思います。気が付けば、あっと言う間の3時間でした。 私自身はこの夜、何だかまだ卒業の実感が湧かず、一人ひとりにきちんとお別れの挨拶も言わないまま、家路についてしまいました。でも、この仲間とは、近いうちにまたどこかで会えると信じていますし、自分自身も会う努力を惜しまないと思います。 ちなみに、日本語の「さようなら」は「左様ならば、これで別れましょう」の短縮形らしいです。我々にとって「左様なら」の文脈は、きっとこのようになるのでしょう。 「ウォートンでの充電は終った。また新たな場での挑戦、本当の勝負が待っている」 「左様ならば、これで別れましょう」 #
by whartonjapan09
| 2009-05-18 03:45
| オッサン
フィラデルフィアへ (オッサン)
INSEADでの2週間があっと言う間に過ぎ去りました。
フォンテーヌブローでのお気楽な単身生活にピリオドを打ち、フィラデルフィアに戻ってウォートンでの2年間を締め括らなければなりません。 振り返ればこの2年間、家族に迷惑をかけっぱなしでした。自分自身、不慣れな環境で日々のsurviveに精一杯で、妻と子供たちの「逞しさ」に救われた感じです。いろいろと大変でしたが、家族にとってもフィラデルフィアでの生活が、貴重な経験&思い出になったことを願ってやみません。 今週末は、長男が地元の野球チームLeopardsで最後の試合となります。ただ今、連勝街道バク進中なので、5月末からのプレーオフ出場は間違いなしでしょう。彼を途中でチームから離脱させてしまうのは、本当に残念です。 また、来週水曜は、小学校のクラスでお別れ会をしてくれるそうです。2年前の9月にKindergartenへ通い始めた頃、彼は500数十名の全校生徒の中でたった1人の日本人でした。当時、担任の先生は、彼が「全く英語が分からない」という事実を理解できず、「言うことを聞かず、指示に従わない変な子」というレッテルを貼り、私に苦情のメールを送ってきました。 そんな彼をいつも気遣い、温かく支えてくれたのは、クラスメートの中でも、アイルランドからの移民の家族、奥さんが中国人の家族、フランスから転勤してきた家族など、多様なバックグラウンドを持つ人たちでした。 「アメリカン・スタンダード=ワールド・スタンダード」というアメリカの持つ傲慢さ・冷たさと、一方で、この国の持つ多様性と懐の深さを感じさせられました。こうした経験は、ウォートンという特殊な場所では決して得られなかったものだと思います。 アパートのドアマンMiltonは、いつも子供たちをとても可愛がってくれました。息子たちが今のアパートをとても気に入っているのは、彼の存在に負うところが大きい気がします。 昨年、子供たちが大好きだった "Please Touch Musemum" が移転&大改築されました。当プロジェクトにあたり、私たちも数百ドルの寄付をしました。正面入口に通じるPavementには、私たちのメッセージが刻まれた記念のプレートが埋め込まれています。 "Dear Take & Masa, Hope your dreams come ture, visit here with your kids Tom & Mari" とにかく、今はフィラデルフィアでの残された数日間が楽しみ、かつ名残惜しくて仕方がありません。 #
by whartonjapan09
| 2009-05-16 02:44
| オッサン
INSEAD通信③ (オッサン)
INSEADでの授業が2週目に突入し、ちょっとしたジレンマに陥っています。
今ターム(P5)では4つのクラスを選択しており、きちんと予習・復習をやっていくと結構な時間を取られるため、当初は「メリハリをつけて、ICA (Industry & Competitive Analysis) だけはしっかり勉強しよう」と割り切っていました。 しかし、一通り授業を受けてみて、MOS (Management of Service) やGSM (Global Strategy & Mgmt) も、テーマ自体が興味深いことに加え、内容も非常にオーガナイズされており、ボケーっと聞いているだけというのは惜しい気がしてきました。題材もHBS Caseばかりでなく、INSEAD Caseを使うことが多いので新鮮です。 特に "Global Strategy" は、ウォートンでもコアで学んだし、INSEADでは他に取る科目がなくオマケで取ったつもりだったのですが、実は切り口がかなり違っていて相当に面白いのです。振り返ってみると、ウォートンでは、ポーターをはじめとする著名な学者の様々な「フレームワーク」をたくさん習い、それはそれで「分析の視点を身に付ける」という点では有意義なのですが、逆に言うとパッチワーク的な印象が否めない部分もありました。 もちろんGSMのクラスでも、様々な学者のArticlesは読み物として課されますが、それはあくまで参考であって、基本的にはProf. Ranganの頭の中にある "Theory" "Logic" について、レクチャーを受けることになります。毎回違うテーマ、違うケースを題材として、計8回構成のコースとなっていますが、いつも授業の冒頭は前回までのレビューから始まり、新たにBuilding Blocksを積み上げていくかのように非常にロジカルに進みます。ICAといいGSMといい、INSEADのストラテジーのクラスは、Economics(特にミクロ、時にマクロ)の視点をふんだんに盛り込んでいるのが特徴と感じます。 せっかくMBAの留学期間を2ヵ月延長して臨んでいるINSEADですから、時間の許す限り、学べるところは学んで帰りたいと思います。 #
by whartonjapan09
| 2009-05-12 00:56
| オッサン
INSEAD通信② - パリ編 -(オッサン)
INSEADでの最初の1週間は、非常にゆったりと流れていきました。
卒業(MBA取得)に必要な19単位は既にウォートンで全て揃っていること、INSEADでは成績のグレードが付かないことから、私自身、かなりリラックスして授業に臨んでいることが主要因として挙げられます。 また、卒業式(5/17)に戻るまでの最初の2週間は、家族をフィラデルフィアに残しての単身生活のため、自由時間が多いことも要因の一つです。 朝は8時に学校へ行き、コーヒーとクロワッサンorバケットで朝食をとり、8:30から授業。空き時間はジムに行ったり、夕食は街中のBistroへ繰り出したりと、好きなことをして過ごしています。 この週末は、シン&Shuと3人で、パリへ遊びに行きました。 土曜の昼は、パリの日本人街として知られるサンタアンヌ通り(Rue Ste-Anne)でラーメンを食し、午後はリオン駅近くの再開発地区ベルシー・ヴィラージュ(Bercy Village)へ。昔のワイン倉庫をそのまま利用した石造りの店舗に、オシャレなショップ、レストラン、カフェが並びます。 隣には巨大なシネコンがあり、そこで何故か "X-Men Origins/Wolverine" を観賞してしまいました(フォンテーヌブローの映画館は全てフランス語吹替版なので、字幕版を探していたのです)。 そして夕食は、昨夏INSEADに来ていたBenご推奨のレストラン "Les Cocottes" へ向かいます。ここでのディナーは、今回のパリ来訪のメイン・イベントと言っても過言ではありません。人気シェフChristian Constantによる3店目で、前菜からデザートまでほとんどの料理がココット(鋳鉄鍋)で出される新しいスタイル。カジュアルな佇まい&リーズナブルな価格ながら料理は絶品で、ワインとの相性も最高でした。 夜は、パリのエンターテイメントを代表するLidoのナイトショーに出かけました。 21:30~のショーは既に売り切れで、我々は23:30~のレイトショーとなりました。 シャンゼリゼ通りに面し、凱旋門にほど近いLidoの劇場前には、深夜にも関わらず長蛇の列です。 1時間半ほどのショーでは、スタイル抜群の美男・美女によるセクシーなダンス、様々な曲芸に加え、乗馬やアイススケートなど「こんな建物の中で?」と思うような大規模な仕掛けがあり、噂に違わない素晴らしいエンターテイメントでした。 パリに来るのは3度目ですが、これまで知らなかったパリの側面を見ることができた夜でした。 #
by whartonjapan09
| 2009-05-11 08:11
| オッサン
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